シナイの王国

演劇部顧問ナカムラのあれこれ

高校演劇の達人

これはもう自分の知っている範囲なので、関東中心になりますが、
だいたい平成元年くらいから演劇部に関わって、幸いなことに
顧問を外れたことがない。その代わりバスケット部の顧問もついて回り、
こちらも正顧問7年、副顧問5年くらいやったか。
これくらいの経験年数だが、顧問になる前は、年に2,3度観劇する、
知ってる程度であったので、顧問歴がそのまま演劇のキャリアだ。

平成の初め頃、関東では、これはもうわたしがビッグ3と呼んでいる、
尊敬する3人の高校の舞台を見るのが一年のハイライトと言えるほどだった。
もちろん自分のところは関東大会へも出たことがない、ふつうの演劇部だった。

ビッグ3とは、秩父農工の若林先生、船橋二和の土田先生、共愛学園の荒井先生である。
まず平成2年の山梨全国大会の秩父農工、「伝染 泣きたいジャスミン男の夜」でたまげ、
同じ大会の共愛学園「いつかみた夏の思い出」にぶっとび、次の年の丸亀全国大会の
船橋二和の「楢山節考」でとどめを刺された。と非常に俗な表現をあえて使いたいほどの
衝撃でした。

この3人はとうてい手の届かないところにいる、達人と言うより巨人である。
全国に行くということはこの3人のようになることか、と思うとまず縁のない
場所だと思っていた。
さて、指をくわえていてもしかたないので自分はどうするか、と思い、自分の好きなことは
何か、と考え始めた。スタイルの模索を始めた。自分になんらかのスタイルを持っているとすれば、
これはもう最初に副顧問でついたときの正顧問猪俣美代子先生の影響である。この項続く。