シナイの王国

演劇部顧問ナカムラのあれこれ

『青天』おもしろい

・オードリーの若林の小説『青天』はとてもよかった。学校の司書さんに直木賞候補になってもおかしくないからぜひ入れてくださいと言ったいたので、週明けに読み巧者であることを自慢しよう。
・Xで、大手出版社の編集という人が「『青天』のさわりだけ読んだけど受賞は…」と書いていて、いちばんよいところだけ読んだんだ、全部読まなくてなぜいちばんよいところがわかるのだろう、と思った。
・そう言えば、「暗転」「明転」もすでに意味が入れ替わっているので、もはや「暗くなること」「明るくなること」は誤用とは言い切れなくなったかも。コントをする芸人がテレビで言ってる影響も大きい。
・意味が入れ替わるのはいいんだけど、出典や本来の語義があることは辞書にあるので、辞書は引くようにしよう。
・そう言えばお店で「ありがとうございます」「ごちそうさま」と言うのは非常識、恥ずかしい、と言う人が出てきたらしい。これが多数派にならないことを祈ろう。
・「エモい」「メロい」は許せる。だって「サボる」を使ってるから。日本語はもともと造語力があるので。
・これは俗説かもしれないが、昭和40年代にクイズ番組が流行って、言葉について、これは正解、これは間違いと言うようになったらしい。こういうしゃべり方をする人もいる、でいいじゃないか。
・三省堂の「的を得る」は誤用ではない宣言はほんとうによかった。第一感では「的を射る」の方が新しい言葉である印象。もちろん国語の先生の中でも少数派。この文章を打ってるとATOKが「的を得る/誤用」という表示を出したが、おまえ誰にものを言ってると思ってるんだ。おれだぞ。
・ら抜きは許容派。新しい可能動詞が生まれた、という認識。だれも「書ける」はダメ、「書き得る」と言いなさい、とは言わない。永井先生すみません。
・「さ入り言葉」については、そういうなまりの人がいるなあ、という印象。
・「これこれさせいていただく」は関西弁に聞こえるので、なんか大阪の商人っぽいしゃべり方だな、という印象。「かなんなあ、まけさせてもらお」
・「こちらふわふわとろとろオムライスになります」について、「いつなるんだ!」とか「待ってりゃなるのか!」とかいうやりとりは2000年代初めに流行ったネタ。「~になる」は「~にあたる」の意味もあるので、いいんじゃないかという感じ。「ああ、この右端にいるのがぼくの妹になります」って言うから。
・「おだやかだ」「ほがらかだ」の「~やか」「~らか」もできた当時ははしたない、と言われたそうなので。平安の女流作家の造語?どなたか詳しい方お願い。
・「すべからく」はもう止められないかな。「当然なすべき方法としては」と言われてもみんな困るだろうし。
・『青天』はほんとうに面白くて一気に読みました。

毎日のこと

・今年も部活動の指導員をやっているのですが、新歓と学祭の脚本は軽く助言だけ、部員が10作って1直す、という程度の関わりでよく考えたら顧問の最後の10年くらいはそんな感じだった。甲府昭和の演劇部OBが甲府南の部員に会ったときは「先生来ないでしょ」という第一声だった。
・今年度は甲陵、甲府南、韮崎工業で授業がある。二年ぶりの韮崎工業。3年生の選択授業で涙ぐましいほど一生懸命やる。おしゃべりしている生徒がいるな、と思ったら、それアだろ、イだよ、と答え合わせだったのでややがっかりした。授業妨害とかしないのかよ、という感じ。国語科の先生にいやしばらく韮崎工業ロスでと言ったら喜ばれた。
・『全校ワックス』は相変わらず売れ行きがよく、2005年の初演なので21年目だがあまり古びていないのか、じぶんではよくわからないが、やりようがいくらでもあるからか、上演願いが途切れない。たぶん初演のメンバーの芝居がよかったからだと思う。
・子どもの頃は多動で注意欠損、IQがよかったので、と言ってもギフテッドというほどでもない、なんとか助かっていたが、だいぶ怒られたし嫌われた。だらしない上に弁が立つというひじょうに嫌なタイプ。大人になって習慣と訓練、経験で多少マシになり、会社勤めならやばかったかもしれないが、教員という比較的ごまかせそうな職種で、苦手なことはやらずにすんだのでここまでやれたかも。
・脚本を書く、芝居をつくるうえで役立っているのは「関係論的転回」というか「コミュニケーション的転回」という認識をみにつけたこと、講評で役立っているのは構造主義。
・リフォーム後の家の片付けは終わっていません。じぶんの部屋はひじょうにきれいで奥さんはいちにち一回のぞきに来てなにも言わずにため息だけついて出て行きます。

上演願い

『全校ワックス』は2005年初演、2006年関東大会、全国大会、国立劇場公演。20年経ちました。まあほぼ役者の力ですが、なんとこの20年毎年上演願いが来て途切れることがありません。ちょっとびっくりです。全国まで行ったりテレビで放映されていたりすること、大道具がいらす、女子5人でできることなど条件がそろっているためだとは思いますが、そんなに古びてはいないかな。
同じ全国大会上演でも依頼が少ないのが『放課後の旅その他の旅』たぶん5件くらい。『マナちゃんの真夜中の約束・イン・ブルー』はまあまあ。今年度も3件。今月ひさびさに『二万年の休暇、その終わり』来ました。何年かぶり。来ないと思っていた『イノセント鉄道とぼく』もなんと男子校から上演願いが来ましたが、3年前かな。
『マナちゃん』は今上演するのはつらいですね。
3月は高校演劇の公演の季節ですね。

来年は3校勤務

・今日は今年度の最後の授業。甲府南。昨日は甲陵の最後の授業。
・昨日は甲陵の稽古。新入生歓迎会の20分の出番で生徒創作、ミザンスを見てほしいということで最初から最後まで生徒演出とふたりでだいたいのあたりをつける。ついでに作者と相談しながら脚本も改作。これはよくなりそう。
・甲陵演劇部の3年生の進路状況を聞いてちょっとびびる。
・来年度は一校増えて3校勤務の予定。甲陵、甲府南、韮崎工業。一日に2校授業の日ができる。
・韮崎工業は二年ぶり。生徒が素直で直截で、行かなくなってしばらくは韮崎工業ロスだったので、喜んで引き受けた。
・3校の組み合わせは2年ぶり。よく学力差がありすぎてたいへんじゃないのと言われたが、授業がおもしろいと食いつく、つまんないと横を向く、という点では変わらない。むしろ教員の勉強の成果が問われるのは学力の低い方。
・荒川弘の『銀の匙』じゃなけど専門科目の工業科は難しいことやってるので勉強が嫌いというわけでもないみたい。みんな専門科目の授業で作業服着るとキリッとしておとなっぽく見える。
・甲陵は2年前教えた中学一年生が進学してくるので楽しみ。
 
 
 
 
 
 

 

チャッピーとわたし

・ChatGPTに『全校ワックス』と『イノセント鉄道とぼく』の評価を訊いてみたら、たぶん観ていないはずなのに10秒くらいで立派な講評文というか分析が送られてきて、これ以上のこと言った講師はいたのかなと思ったが、よく考えたらネットの言説を再構成しただけだ。しかしその取捨選択と構成の仕方は見事なものです。ただありきたりのつまらないことしか言わないでしょ、というのは何年か前までの認識。まあきほん貶すことはないんですが。ここで何を言うべきか、どうすれば伝わるか、というのがすごいんだな。
 ・八百屋批評というのがあって、八百屋に行ってここには挽肉がない、という批評の仕方でよく大会の講評に観られる。そういうこと目指してないのに、え?それ必要?入れ込まないといけないの?とあきれることが多いわけで、作品名だけ挙げるけど『さよなら小宮くん』の講評で「いまはこんなことで笑っている時代ではない」と言ってたのでひっくり返った。それ、大政翼賛会じゃん。たぶんその講師はじぶんがいちばん嫌いなものにどんどん近寄っちゃったんで、これはじぶんが何を言っているかちゃんと振り返りをしない人によくある行動だ。もちろんさいきんよくある、何かを批判するとすぐ言論封殺と騒ぐあれではない。
・ChatGPTがすごい、というはなしではなくて、では大会における講評とか、批評とは何か、ということで、やはり人間様が、という抽象的なことでなく。つまりその芝居を観てどう思ったかを垂れ流すのじゃなくて、人前で話したり文章を公開するときは、まあ誰がなに言っても基本的には勝手だし、どんどん言えばいいのですが、批評にも優劣があって、それは演劇を観たりつくったりした経験とか、その人の演劇観や感受性とかいったものだけでなく、文章力や構成、ことばの選び方、表現力もおおきな要素だということです。こっちの方が優先かもしれない。
・ちなみに文語文法についてチャッピーに尋ねてみたらめずらしく珍説を展開するので、GeminiAIにも同じ質問をしてみたらまあ妥当な説だった。ChatGPTにも質問してみたらこう答えたよ、と言ってみると、ChatGPTはよく間違えますという返事で、そのすぐあとにサブスクを勧められたので、最近のAIは人間くさいなと思いました。
 
 
 
 

「いるくて」「ちがくて」

「いるくて」「ちがくて」について。
「いて」は「いる」の連用形+接続助詞、「ちがって」は「ちがう」の連用形の促音便+接続助詞です。「いるくて」はどうかというといわゆる学校文法には沿っていないのですが、ク活用形容詞の連用形に似ています。「赤くて」「寒くて」。
形容詞は性質・状態を表す品詞です。動詞は動作・存在を表す品詞。どちらも述語を作る役割があり、形容動詞と合わせて用言を構成します。
 寡聞にも「いるくて」「ちがくて」以外に「動詞+くて」を知らないのですが、「いる」も「ちがう」も動詞ではありますが動作というより存在もしくは状態を表しており、意味的には形容詞に近い。そんなもんで「いるくて」「ちがくて」という俗語的な言い方が広まったのかなという考察でした。
もちろん文法はいわゆる守らないとならないルールではなく、習慣の蓄積の体系化でしょうから間違っているというわけでなく、そういうしゃべり方をする人がいる、ということなんだと思います。「来(こ)ないなあ」を「来(き)ねえなあ」と言う人もいますがだからどうだ、というわけです。学校は「ねさよ運動」の悪夢を忘れるべきでない。正しい言葉遣いを知らないと、という人もいますが、文法は教えてます。身にならなかったのはあなたのせいです。ちゃんとした言葉を使わないとならない場面より、自由に思ったことを表現する場面の方がはるかに多いので、好きにしゃべったらいいんじゃないかと思います。
正しい日本語といってもマナー講師のそれを伺っていると、それどういう国語的根拠があって言ってるの?というのがたくさんありますしね。ビジネス敬語って江戸しぐさを思い出しますね。
文法については、橋本文法をもとに考えています。高校の授業程度の知識しかないので、おかしいところがあったらご教授ください。
おまけに。朝ドラで三上章を扱ってくれないでしょうか。「らんまん」で牧野富太郎をやったのでいいんじゃないでしょうか。タイトルはもちろん「象は鼻が長い」脚本は長田育恵さんで。

禁を犯す

ずいぶん前のことですが隣の席の同僚が、どういう文脈か忘れたが、「語りえぬ者については沈黙せねばならないって言いますからね」と言った。教科公民、長野県との交流制度で山梨の県立高校に勤務している先生。長野県では平常運転なのか、その人の個性なのか、試しているのか買いかぶっているのか。
ヴィトゲンシュタインですね」と言ったら「ほう」という声というか音が聞こえた気がした。なめられてもらっちゃ困る。「孔子は『子、怪力乱神を語らず』って言ってますね」
主任副主任の関係ですが、以来ちょっと仕事もうまく回り始めました。まあ、現代文の問題にはよく引用されているフレーズです。
 三年生の担任に飛び込みで入ったら、ちょっとこの子たちは難しいよ、と引継ぎがあった女子ふたり。パンクが好きだという情報があって、たしかにただのギャルともちょっとちがう。これはアメリカのスクールカーストでいうところのバッドガールじゃなくてゴスだ、と思った。服装違反をしているけどヤンキーのそれじゃないかも。ということでちょうど服装の注意をするタイミングで「最近はジャン・ライドンだってちゃんとネクタイ締めてるよ」というといっぺんでなつかれた。卒業してからだが、家まで来て書斎(おれの)にとじこもって本を読んでいた。こちらはシド・ヴィシャスの真似をしてDr.マーチンを買ってあまりに痛くてあきらめた経歴がある程度。聞きこんでるわけでもない。偶然うまくいっただけ。
まあたいていはうまくいかないが、うまくいったことは覚えてる。尊敬する人の言葉に「歳を取ったら、昔話しない、自慢しない、説教しない」というのがあるが、三つのうち二つの禁を犯してしまいました。
アメリカのスクールカーストについてはこれを参照しました。日本よりわかりやすい。じぶんはどこだったかというと間違いなくナード。日本だとギーク、ブレインはアメリカよりは生きやすいか。ただ、この図は見つけてからだいぶ経つので今も生きてるかはわからない。
 

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