シナイの王国

演劇部顧問ナカムラのあれこれ

ノートから

 高校一年生の男子、生まれてはじめて彼女ができた。と、まるで天下を取ったような顔をしてそこらへんをのし歩く。思春期の自己顕示欲を満たすのはスポーツとか、勉強とか、ファッションなどがあるが、カップルになることもその一つだ。とくに自己肯定感の低い子どもは手っ取り早く自分を目立たせることができるので、カップルになるのに懸命だ。しかもマスコミをはじめ世間の風潮は性的に親しいカップルであることに価値を置いている。恋愛は神聖という意識も世間一般強いものがある。「あいのり」という番組趣旨を理解するまでしばらくかかりましたよ。そうすると振られることは大きな挫折感を伴い、カップルであることが自己を実現することだという価値観を共有する仲間の中では特に屈辱的な出来事である。朝から大声で泣きながら登校してくる女子生徒がいるので聞いてみると「ひろしくん(仮名)がひろしくん(仮名)が…」と口走りながら泣くばかりである。いっしょに登校してくる途中でけんかしたそうだ。彼女にとっては人生の最優先事項であって、授業どころではない。
 一方カップルになれない子どもたち。これはおくてであったり、そういう早熟な文化圏で育ってなかったり、いろいろ理由はあるのだが、どうかして自己顕示欲を満たしたり、自己実現を果たしたりしたいのだが、だれもがスポーツでスター(クラスの、学園の、地域の、県の…)にはなれないし、勉強はつらいし、できないし、ますます育つ過剰な防衛意識をもてあましながら、なにか自分が人より秀でたり目立ったりすることを探している。マイナーなアーティスト(音楽・お笑い・マンガ)に入れ込んで同一化する、ヴァーチャルな彼女を見つける、あと人を見下して相対的に自分を持ち上げ、自己肯定感を満たす、とか。冷めてるヤツと言われる。人を見下す若者たちという例のやつだ。