シナイの王国

演劇部顧問ナカムラのあれこれ

自己表現って分からない

自己表現というのが基本的に何のことか分からない。
ついでに自己実現も分からない。望み通りになること?じゃあ望み通りに行かないのは自己が実現されないからか?
そうするとうまく言えなかったりするのは自己が表現されないから。そんなわけがない。
ほんとうに自己表現が分からない。

こないだテレビで宮崎駿が自分は映画の奴隷、と言っていたが本当にその通りで、どう考えてもじぶんが演劇より上とは思えない。演劇の方が偉いに決まっている。何が言いたいかと言うと、自分を表現するということが何をすることかよく分からないが、自分を表現したら演劇になるかと言うと、ならないんじゃないかな。

全国大会の講評にあったそうだ。「演劇はひどい現実を忘れるためにあるのではない」。
その通りだ。青森中央について救いがない、という評を聞いたが救いがないように作ってあるから救いがないのは当然だ。うれしい楽しいばかりではない。では面白くないかというと、青森中央の「河童」が一番面白いに決まっている。

だいたいいつも毒にも薬にもならない女の子のちょっとした心の揺れ、みたいなものばかり作っているので、硬軟両方から評判が悪い。社会性がない、と言われ、日常の切り取りと言われ、いやもうあってもなくても同じと言わんばかりである。そこだけは本当であってもなくてもいいのだが、人に言われるのは腹が立つ。どうもある傾向の元凶だそうで。ほんとうにこう言われた。まあそんなことはどうでもいい。

さて、全国の心ある顧問は途方に暮れているが、途方に暮れつつも途方に暮れていることをそのまま受け入れざるをえない、と。こういうのもあっていいんだと言い聞かせながら、さらに方法を模索し徹底させるしかないですね。